天満宮
天満宮
右大臣菅原道真公が延喜元年(901年)太宰権師として京都より西下の際、築城郡椎田浜(網敷天満宮)に上陸、さらに太宰府に向かう途中、立ち寄られ
た跡地に鎮座されたと伝えられる。
当初は、葛原新町(現葛原本町1丁目付近)に鎮座されていましたが、明治45年に現在の地に遷座され、以来葛原新町の人々を中心に学問の神、産土の神として人々の篤い信仰を受け続けている。
(平成9年、多額の浄財により見事に改築がなされました。)
「葛原新町楽」
葛原新町地区に古くから伝承されている“太鼓踊”。
享保年間、この地に悪疫が流行し、特に牛馬が多く死んだ。その為里人は牛の守り神の天神様に祈願したところ忽ち悪疫が治り、そのお礼として願解きに「子供楽」を奉納したのが「葛原新町楽」の始まりだと伝えられている。その後、毎年小笠原藩のお達しで葛原村は「子供角力」葛原新町村は「楽」を奉納するようになった。
それ以来、葛原新町の人々により代々受け継がれていたが先の大戦中は中止となり昭和24年復活、昭和30年から再び中断し、昭和51年には「葛原新町楽保存会」を組織し再度復活され、昭和59年2月1日に北九州市の無形文化財に指定されて現在は、小・中・高校男児により八幡神社の例大祭当日奉納されている。