当社の起り(由緒)

足立山と和気清麻呂伝承ゆかりの地

【御祭神】
神功皇后
応神天皇
正一位護王大明神(和気清麻呂)

【主な御利益】
健脚祈願
リハビリ成就
病気平癒

当社の創立は、和気清麻呂公の御事蹟に由来するものです。

称徳天皇の神護慶雲年間(今から1,200余年前)天皇の寵を受け、政界に進出した弓削道鏡は宇佐八幡神の神勅と偽り皇位につこうとしました。
清麻呂公は改めて勅使に任ぜられ宇佐宮に参向し、真の勅使を請けて道鏡の意をくつがえした為、道鏡の怒りにふれ足の筋を断たれて大隅国(鹿児島県)に流罪となりました。

途中、公の御舟が宇佐郡?田村に流れ着いた時、突如、山中から白鹿が現れ、公を背に乗せ、左右を二百頭余の猪が守護し宇佐宮へと導きました。
(日本後記、水鏡による)

公は神前に詣で、八幡神に罪なきことを乞い奉ると八幡神が出現され、「之れより西方十七里の規矩郡竹和山の山麓に温泉あり此所に浴せば 必ず癒る」とお教えになりました。
公は、その神託のまにまに温泉に浴すと数日にして足が立ち、それからこの山を「足立山」と呼ぶようになりました。
(湯川水神社の境内に今も湧き出ている)

これより公は、蜂ヶ坂(安部山清麻呂石像付近)に庵を結び住み、八幡神への神恩感謝の為、神祠をたてて自ら朝夕に奉齋しておりました。
これが当社の起りであります。

その後、宝亀元年(770年)公は赦免され都に帰ることになりました、延暦十八年(799年)薨じ給い、それを伝え聞いた里人が清麻呂公の神霊を八幡社に合せ祭っておりました。
下って、弘仁八年(817)清麻呂公の嗣子真綱、勅使として宇佐宮へ参向の帰途、蜂ヶ坂に立ち寄り御神誨を仰ぎ八幡社を現在の地に遷し奉り、神功皇后、父清麻呂公の神霊を左右の相殿に合祀されました。

 嘉永六(一八五三)年には、神祇官より神格としては最高位である正一位の号を、和気護王大明神として京都の護王神社と、当社にのみ下されました。

葛原八幡神社御神宝

宗源神宣(そうげんしんせん)と御幣(ごへい)
「宗源神宣」(写真上)は神社における公文書。
嘉永6年、京都の神祇官より「正一位護王大明神」の神号を授かった際、その証として本状と御幣(写真下)を授かりました。当社の由来を語る唯一無二の御神宝として、大切に保管しています。

薬師(くすし)として名を残す和気清麻呂~里人が奉じた癒しの才~

和気氏は薬学にも長けて、子孫は代々宮廷医官を務めました。日本最古の薬学書「大同類聚方(だいどうるいじゅほう)」には清麻呂所伝とする薬方が記されています。清麻呂が里人の信を得て、ここに祀られたのも、薬師(くすし)として崇められた故かもしれません。当社の脇には、ヘイム田(平癒田(へいゆだ)の転)という古い地名も伝えられています。

安倍真直・出雲広貞『大同類聚方』(808)
(国立国会図書館 提供)

社頭祈願祭

【社頭御祈願】
・家内安全・商売繁盛・交通安全(車祓)・厄祓
・初宮参・学業成就・災難除・方角除・病気平癒
・七五三祭・結婚式・安産祈願 
【出張祭典】
・地鎮祭・新築家祓・井神祭

和気清麻呂にあやかる授与品

和気清麻呂の足立伝説にちなみ健脚や平癒の神様として慕われています

【御守】
当社の縁起にちなむオリジナルのお守りが大人気。
イノシシとというだけに四肢(しし)守り
● ご参拝の記念に
● ご自身のお守りに
● 健康祈願のプレゼントに
● ウォーキングやマラソンの成就祈願に

御朱印

今、人気の御朱印集め。
当社ご参拝の記念にいかがでしょうか?